介護のカスハラはなぜ難しい?一つの訴えを「接遇・クレーム・カスハラ」に分ける

カスタマーハラスメント

職員から、こんな相談が上がってくることはないでしょうか。「あのご家族の担当を、外して欲しいんです」。話を聞くと、面会のたびに強い口調の要求が続き、職員はすっかり疲れ切っている。ただ、その訴えをよく聞けば、もっと丁寧に対応して欲しいという、もっともな部分も混じっています。

これは接遇として改善すべきことなのでしょうか。クレームとして対応することでしょうか。それとも、カスハラとして対応すべきことなのでしょうか。ご利用者様が認知症と診断されていれば、判断はいっそう揺れます。かといって、すべてを飲み込んでいては、現場の職員がもちません。

この記事でお伝えするのは、職員から相談されたその一つひとつを、仕分けて考えるための視点です。ある要求をカスハラと判断するとしても、それはご利用者様やご家族を突き放すためではありません。応えるべき要望にきちんと応えるために、不当な部分だけを区別する。何を受け止め、何を区別するのか。その判断の軸を、具体的な場面とともに整理していきます。

お伝えするのは、介護の現場に携わってきた経験と、多くの事業所・施設を見てきた立場から、厚生労働省の資料も踏まえた内容です。読み終えるころには、目の前の一つひとつを「応える部分」と「区別する部分」に分けて考えられるようになるはずです。

介護分野では、2021年度から、事業者にハラスメント防止のための措置が義務づけられ、あわせてカスタマーハラスメント防止の措置を講じることも推奨されてきました。そして、2026年からは、カスハラへの対応が、全業種の事業者に広く求められることになります。制度の全体像については、こちらの記事で詳しく整理しています。

なぜ介護のカスハラは、これほど判断が難しいのか

カスハラという言葉は、ずいぶん身近になりました。ただ、介護の現場でそれを実際に見分けようとすると、他の業種にはない難しさにぶつかります。まず、その難しさがどこから来るのかを整理してみましょう。

介護現場の一つの出来事を、接遇で応えるもの、クレームとして対応するもの、カスハラとして区別するものの3つに分類した図。
介護現場に上がる一つの訴えは、接遇・クレーム・カスハラの3つに分けて考えられます。

その前に、ひとつ確認しておきたいことがあります。カスハラへの対応と聞くと、要求してくるご家族を出入り禁止にする、契約を打ち切って退去してもらう、そういった強い措置を思い浮かべる方がいるかもしれません。けれども、ここでお話ししたいのは、その正反対のことです。

カスハラを見分けて対応するのは、ご利用者様やご家族を突き放すためではありません。むしろ逆で、応えるべき要望にきちんと応えるために、応えなくてよい要求と区別する。その営みなのです。

たとえば、ラーメン屋を思い浮かべてみてください。「(メニューにない)カレーを作ってくれ」と言われて、応じるお店はないでしょう。一方で、「スープが服に飛ばないように紙エプロンが欲しい」「髪が長いので、まとめるゴムを貸して欲しい」という求めには、応じることでむしろお店の心地良さが増します。

問題は、この二つが無関係ではないことです。カレーを作るために従業員が動けば、その時間と手間の分、紙エプロンやゴムを用意する余裕は削られます。応えなくてよい要求を飲み込むことは、応えるべき要望に応える力を、静かに奪っていくのです。

介護でも、同じことが起きます。「移乗介助のときに体がふらつくので、もっと丁寧に介助して欲しい」「特殊浴槽での入浴に、家族として立ち会いたい」。こうした求めは、応えることでケアの質が上がる、いわば紙エプロン側の要望です。ところが、「経験のある職員を、複数、うちの担当に引っ張ってきて欲しい」となると、話は変わってきます。誰をどう配置するかは、法人が責任をもって決めることであり、ご家族が指定できる領域ではありません。これはカレー側の要求です。

前者に応え、後者と区別する。それができて初めて、限られた人手を、応えるべきケアに向けられます。カスハラへの対応とは、この区別のことだと、まず押さえておいてください。この前提が抜けたまま、区別するかどうかだけを議論すると、対応そのものが冷たい行為に見えてしまい、話が前に進まなくなります。

では、その区別が、介護ではなぜ難しいのでしょうか。理由は、大きく三つに分けられます。

特徴1:関係が長く続く

多くの接客業は、その日その時に来られたお客様との、一回きりのやりとりです。常連の方もいますが、基本は一度きりの関係が積み重なっていきます。

介護は違います。同じご利用者様、同じご家族と、数か月から、長ければ数年にわたって関わり続けます。この「長さ」が、いくつもの難しさを生みます。

最初はささやかだった求めが、少しずつ吊り上がっていく。ケアへの小さな不信が積み重なり、あるときカスハラに近い言動に変わっていく。あるいは、関係ができて気を許したからこそ、職員へのセクシュアルな言動が生まれてしまうこともあります。こうした変化は、一度きりの関係ではなかなか起きません。長く続くからこそ、要求も感情も、時間をかけて形を変えていくのです。

だからこそ、早い段階で応えるべきものとそうでないものを見分けておかないと、飲み込んだ一つの妥協が、次からの当たり前になってしまいます。

特徴2:見極めにくい

次の難しさは、その言動が「誰の、どういう性質のものか」が、ひと目では決まらないことです。

行為者は、ご利用者様ご本人のこともあれば、ご家族のこともあります。訪問介護のように一対一の閉じた空間では、ご本人からの暴言やセクシュアルな言動が起きやすい傾向があります。一方、特別養護老人ホームのように介護度の高い方が多い場では、ご本人が意思を伝えにくいぶん、ご家族が代弁者となり、要求者となり、ときに監視者にもなります。どのサービスかによって、誰が中心になるかが変わってきます。厚生労働省の調査でも、ハラスメントを受けた経験のある職員は、ご利用者様からは4〜7割、ご家族等からは1〜3割にのぼると報告されています(厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」P.61)。

さらに、ご本人の暴言や介護拒否には、認知症の症状として現れているものが含まれます。これは、あとで詳しく扱いますが、カスハラとは分けて考えるべき領域です。

そして、最も見極めを難しくするのが、一つの出来事のなかに、正当な指摘も、調べるべき事実も、応えなくてよい要求も、同時に混じっていることです。同じご家族が、同じ面会の場で、もっともな心配と、行き過ぎた要求を、ひと続きに口にする。だから、「この人はカスハラだ」「この人は違う」という、人単位の分け方では捉えきれないのです。

特徴3:手を打ちにくい

三つ目は、見極めがついたあとの話です。応えなくてよい要求だと分かっても、そこから先に進みにくい、という難しさがあります。

介護のサービスは、正当な理由がなければ提供を断ることができません。契約を解除するにも、退去していただくにも、高いハードルがあります。とりわけ特別養護老人ホームのような施設では、すぐに出ていってくださいと言うことは、現実にはほとんどできません。

そこに、稼働率や入居率という経営の事情が重なります。一部屋の空きを恐れる気持ちが、区別して対応することをためらわせる。見極める難しさとは別に、見極めたあとに動く難しさが、二重にのしかかってくるのです。

その一件は、たいてい「混ざっている」

現場の管理者が本当に頭を抱えるのは、「これはカスハラか、そうでないか」を決める場面ではありません。一つの出来事のなかに、応えるべきものと、そうでないものが、混ざって入っているからです。ある実際の場面を通して見てみましょう。

以前、こういうことがありました。あるご家族から、会社に対して「経験のある、力のある職員を、複数、担当につけて欲しい」という強い要望が入りました。その要望がきっかけで、経験の長い職員が、そのご利用者様の担当として動くことになりました。

なぜ、そこまでの要望が出たのか。よく話を聞いていくと、いくつかの心配が重なっていました。移乗介助のときに、ご利用者様の体がふらついていた。おむつ交換に、まだ慣れていない様子が見えた。そして、ご利用者様の体にあざがあり、ご本人が不安を口にしている、という訴えもありました。

ここで立ち止まって考えてみてください。このご家族の訴えは、まるごとカスハラでしょうか。それとも、まっとうな心配でしょうか。

どちらでもありません。正確に言えば、両方が混ざっています

移乗介助のふらつきや、おむつ交換の不慣れさについては、これはケアの質そのものへの指摘です。応えるべき、まっとうな要望と言えます。あざについても、その原因を調べることは、事業所・施設や法人が当然すべきことです。介護の現場で体にあざが見つかれば、不適切なケアがなかったかを確認する責任が、提供する側にあります(このケースでは、調べた結果、ご本人がベッド柵などにぶつけたものだろう、という見立てで落ち着きました)。

一方で、「経験のある職員を複数連れてくるように」という求めは、性質がまったく異なります。どの職員を、どこに、どう配置するか。これは法人が責任をもって決める領域であり、ご家族が指定できるものではありません。ここには、応えるべき理由がありません。むしろ、応えてはいけない求めです。

同じご家族の、同じ訴えのなかに、応えるべき心配と、応えてはいけない要求が、ひと続きに入っている。これが「混ざっている」ということです。

家族の訴えを、移乗・おむつ交換の技術指摘、あざの原因調査、経験者を複数よこせという人事介入の3つに振り分けた記入例。
実際のケースを3つの引き出しに分けると、同じ一件が違う対応を求めていることが見えてきます。

一件を三つの引き出しに分ける

では、どう解きほぐせばよいのでしょうか。おすすめしたいのは、上がってきた一件を、頭のなかで三つの引き出しに分けてみることです。

一つ目は、接遇やケアの質を上げることで応える引き出し。移乗やおむつ交換の技術を高める、といった、サービスそのものを良くすることで応えられる要望が、ここに入ります。

二つ目は、クレームとして誠実に対応する引き出し。あざの原因を調べて説明する、事実を確認してお伝えする、といった、きちんと調べて答えることで応えられるものが、ここに入ります。

三つ目は、カスハラとして区別する引き出し。職員の人選や配置への介入のように、応えるべき理由がなく、応えれば、ほかの要望に応えるための人手や時間が奪われてしまう要求が、ここに入ります。

さきほどのケースを、この三つに分けてみます。移乗やおむつ交換の指摘は、一つ目の引き出しへ。あざへの不安は、二つ目の引き出しへ。そして、「経験者を複数連れてこい」という求めは、三つ目の引き出しへ。こうして分けてみると、同じ一件が、まるで違う三つの対応を求めていることが見えてきます。

大切なのは、一つ目と二つ目に、きちんと応えることです。三つ目を区別するのは、一つ目と二つ目に応える力を守るためです。ここを飲み込んでしまうと、丁寧な介助や、誠実な説明に向けるはずだった手間が、そちらに吸い取られていきます。

家族の要求は、どこから応えるべきでないのか

応えるべき要望と、応えなくてよい要求。言葉にすれば当たり前ですが、その境目はどこにあるのでしょうか。実は、迷ったときに立ち返れる、はっきりとした目安があります。

その目安とは、要求の中身が「サービスの質や安全」に向いているか、それとも「事業所・施設や法人の運営の決めごと」に踏み込んでいるか、という違いです。

前者、つまりケアの質や、ご利用者様の安全に関わる指摘は、応えるべき要望です。「もっと丁寧に介助して欲しい」「服薬の管理をきちんとして欲しい」「あざの原因を説明して欲しい」。これらは、本来果たすべきことへの求めであり、真摯に受け止める対象です。

後者、つまり運営や人事という、法人が責任をもって決める領域への介入は、性質が変わります。誰をどの担当につけるか、どの職員を配置するか、いつ誰を出勤させるか。こうした判断は、法人がその責任において決めることです。ご家族が「この職員を担当から外せ」「経験者を複数よこせ」と指定できるものではありません。

さきほどのケースで、「経験のある職員を複数連れてくるように」という求めが応えてはいけないものだったのは、まさにこの理由です。ご家族の不安そのものは理解できます。けれども、その不安の表し方が、法人の人事の領域にまで踏み込んでいた。ここが、応えるべき要望との分かれ目でした。

応えるべき要望(質・安全に関わる)区別すべき要求(運営・人事への介入)
もっと丁寧に介助して欲しいこの職員を担当から外して欲しい
あざの原因を調べて説明して欲しい経験のある職員を複数、担当によこして欲しい
特殊浴槽での入浴に立ち会いたい特定の職員を出勤させろ/辞めさせろ

不安は受け止め、要求の形は区別する

ここで気をつけたいのは、ご家族の不安を否定するわけではない、ということです。

不安の中身、たとえば「きちんと介助してもらえているだろうか」という心配には、誠実に応える。けれども、その不安が「特定の職員をよこせ」という運営への介入という形をとったとき、その形には応えない。感情は受け止め、要求の形は区別する。この二段構えが、現場を守りながら、ご家族との関係も保つための、現実的なやり方です。

なお、カスハラかどうかを見分けるときには、要求の中身だけでなく、その要求をどのように伝えてくるか、という手段や態様も、もう一つの判断基準になります。全業種に共通する基本的な判断の考え方は、別の記事で整理していますので、あわせてご覧ください。

厚生労働省の対策マニュアルでも、「この程度できて当然」といった理不尽なサービスの要求は、精神的暴力の一例として挙げられています(同マニュアルP.4)。こうした公的な整理があることは、現場が判断に迷ったときの後ろ盾になります。「これは自分が神経質なだけではないか」とためらう必要はありません。国も、過剰な要求を、応えるべき正当な要望とは分けて考えているのです。

「認知症だから」は、どこまで通用するのでしょうか

ここまでは、主にご家族からの要求を見てきました。では、ご利用者様ご本人からの暴言や、介護への強い拒否は、どう考えればよいのでしょうか。管理職の方からよく聞くのは、「認知症なのだから、すべて受け止めるべきではないか」という戸惑いです。ここには、分けて考えるべき境界があります。

まず押さえておきたいのは、認知症の症状として現れる言動は、そもそもカスハラとは別のものだ、ということです。厚生労働省の対策マニュアルは、この点をはっきりと示しています。

認知症等の病気または障害の症状として現われた言動(BPSD等)は、「ハラスメント」としてではなく、医療的なケアによってアプローチする必要があります。

出典:厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」(令和4年3月改訂/株式会社三菱総合研究所)P.4 PDFを見る

たとえば、認知症による「もの盗られ妄想」から、職員が強くなじられることがあります。これは、意地悪でも、いやがらせでもありません。病気の症状です。カスハラとして身構えるのではなく、認知症ケアとして向き合う対象です。同じマニュアルも、この例を挙げています。ここを取り違えると、ケアで応えるべき場面に、防御の姿勢で臨んでしまいます。

症状であることと、我慢することは別

ただ、ここで気をつけたいことがあります。「症状だから、カスハラではない」ということと、「症状だから、職員が耐えるべきだ」ということは、まったく別の話です。

症状として理解することと、職員を危険にさらしたまま放置することは、イコールではありません。認知症の症状による暴言・暴力であっても、職員の安全への配慮は欠かせません。

暴力があれば、その場で職員の身を守る。そのうえで、なぜその言動が起きたのかを、認知症ケアの視点から検討していく。守ることと、ケアすること。この両方が要ります。

そして、その言動が症状によるものなのか、それともカスハラにあたるのか。この見極めは、現場の職員一人の判断に委ねるものではありません。主治医やケアマネジャーの見立ても確認しながら、事業所・施設や法人として判断していくものです。ここでも、一人で抱えないことが土台になります。

「認知症だから」を、別の場面に持ち込まない

もう一つ、注意したい使われ方があります。「認知症だから」という言葉が、ご本人の症状の話ではなく、ご家族の不当な要求を飲み込む理由に、すり替わってしまうことです。

ご本人の「もの盗られ妄想」を症状として受け止めることと、ご家族の「経験者を複数よこせ」という要求に応じることは、まったく別のことです。前者は、認知症ケアの話。後者は、法人の運営への介入という、先ほど見た話です。ところが、現場では、「あのお宅は認知症のご本人がいて大変だから」という空気のなかで、ご家族の行き過ぎた要求まで、ひとまとめに飲み込まれてしまうことがあります。

ご本人の症状には、ケアで向き合う。ご家族の不当な要求とは、区別する。この二つは、別々に考える。そう整理しておくと、「認知症だから」という言葉に、必要以上に判断を縛られずにすみます。

区別を、ためらわせるもの

ここまで読んで、区別の仕方は見えてきたかもしれません。けれども、現場ではもう一つの壁があります。頭では分かっていても、いざとなると飲み込んでしまう。その背景には、二つの圧力がはたらいています。

一つ目の圧力:稼働率という重し

一つ目は、経営の事情です。介護サービスの多くは、利用してくださる方がいて、はじめて成り立ちます。稼働率、入居率、契約者数。こうした数字は、事業所・施設や法人の運営を支える土台です。

だからこそ、あるご家族に強く区別を伝えることで、契約を打ち切られてしまうのではないか、退去につながってしまうのではないか、という不安がよぎります。一人分の空きが、経営に響く。その心配が、区別することをためらわせます。

けれども、ここで立ち止まって考えたいことがあります。目の前の一人の契約を守ろうとして不当な要求を飲み続けた結果、何が起きるでしょうか。要求はやみません。むしろ、飲めば飲むほど積み上がっていきます。対応する職員は疲れ果て、やがて「あの担当を外して欲しい」と言い出す。それでも変わらなければ、職員そのものが辞めていきます。

一人の契約を失うことを恐れて、複数の職員を失う。採用にも、育成にも、時間とお金がかかります。人が減れば、ほかのご利用者様へのケアの質も保てなくなります。一室の空きと、現場そのものの崩れ。経営にとって本当に重いのは、どちらでしょうか。区別することは、実は経営を守る判断でもあるのです。

二つ目の圧力:「介護の心だから」という美徳

二つ目は、もっと根の深いものです。「介護なのだから、多少のことは受け止めるのが筋だ」「困っている方に寄り添うのが、この仕事だ」。こうした思いが、区別することを、どこか後ろめたく感じさせます。

この考え方は、決して間違ってはいません。むしろ、介護という仕事の尊さそのものです。ただ、それが「不当な要求まで飲み込む理由」として使われるとき、話が変わってきます。

厚生労働省の調査でも、現場のこうした空気がうかがえます。相談を受けた側が「我慢して続けて欲しい」と応じてしまう例もある、と報告されています。そのうえで、こう記されています。

介護の現場で働く人は親切な人が多く、そのことが、我慢につながっている面もあるのではないでしょうか。

出典:厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」(令和4年3月改訂/株式会社三菱総合研究所)P.66 PDFを見る

親切であること、優しくあること。それ自体は、この仕事の宝です。けれども、その優しさが、職員自身を追い詰める方向に働いてしまっては、続きません。

ここで思い出したいのは、区別は誰のためか、ということです。不当な要求を飲み込んで職員が疲弊すれば、ケアの質は落ちます。その割を食うのは、ほかならぬご利用者様です。

以前、あるご家族から、特定の職員を出入り禁止にするよう強く求められたことがありました。そのとき、その要求にそのまま応じることはしませんでした。誰を担当から外すかは、ご家族が指定できることではないからです。ただ、ここで大切にしたのは、要求を突っぱねて終わりにしないことでした。

お伝えしたのは、二つです。一つは、「その職員が出入りできなくなることは、結局、お母様が受けられるケアにとって不利益になります」ということ。もう一つは、それでもご不安が残るのであれば、その職員が入る際には、主任や副主任、リーダーといった経験のある職員が一緒に入る形をとります、という代替案でした。このご利用者様は、もともと移乗介助などを二人体制で行うことになっていました。注意深く対応すれば一人でも介助できる状態でしたが、ご家族の求めもあり、二人で入る形をとっていたのです。その二人のうちの一人を、経験のある職員にあてる。そうすることで、新たに人手を増やすことなく、ご不安に応える形が組めました。

不安の芯にあるものには応える。けれど、その応え方は、こちらが責任をもって決める。この形で、ご家族にも納得していただき、出入り禁止という求めは取り下げていただきました。区別するとは、要求をはねつけることではありません。応えるべき不安に、別のやり方で応えることでもあるのです。

厚生労働省の対策マニュアルも、ハラスメントへの対応を、職員のためだけのものとは位置づけていません。それは、ご利用者様が介護サービスを続けて使っていくためにも欠かせない、と述べています(同マニュアルP.6)。職員を守ることと、ご利用者様を守ること。この二つは、対立しません。同じ方向を向いています。

「担当を外す」の、その先へ

ここまでの区別を、実際にやってのける人は、現場にいます。経験を積んだ職員なら、応えるべきことと、そうでないことを、その場で見分けられます。ただ、そこに落とし穴があります。その見分けが、その人一人の中にしかないとき、何が起きるでしょうか。

先ほどのご家族の対応は、その後も続きました。経験の長い職員が複数で入り、こまめに声をかけ、関係を保ちながら、応えるべきことには応えていく。そうして、いったんは落ち着いたように見えました。

けれども、要求がやんだわけではありませんでした。あの職員は出入り禁止にして欲しい、もっと早くコールに応えて欲しい、もっとこまめに部屋を回って欲しい。求めは、少しずつ形を変えて、上がり続けました。その都度、経験のある職員が間に入り、応えるべきものと、そうでないものを見分けながら、対応していきました。

見分ける力が属人化するリスク

問題は、その「見分ける力」が、特定の職員個人に属していたことです。

どこまで応え、どこからは応え方を変えるか。その判断は、経験を積んだ人の頭の中にありました。紙にも、仕組みにも、なっていませんでした。だから、その人がその場にいるあいだは、区別が保たれます。けれど、その人が異動したり、退職したりすれば、区別の基準ごと、いなくなってしまいます。

そして、もう一つ、見落とせない弊害があります。基準が人に付いていると、担当者が代わるたびに、応えることと区別することの境目が動いてしまうのです。前の担当者は応じてくれたのに、今度の担当者は応じてくれない。職員にとっては、何を基準に動けばいいのか分からなくなります。ご利用者様やご家族にとっても、対応が人によって変わることは、不信につながります。「言うことがころころ変わる」という不満は、こうして生まれます。区別の基準が定まっていないことは、現場を混乱させ、かえって関係をこじらせていくのです。

実際、そうなりました。その現場を経験者が離れたあと、残された対応は、要求をそのまま受け止め続けるものへと変わっていきました。応えるべきものと、そうでないものを見分ける人がいなくなり、すべてを飲み込む状態に戻ってしまったのです。そして、ある職員が、その重みに耐えきれなくなり、書類の手続きの上で越えてはならない一線を越え、処分を受けることになりました。

この結末を、個人の弱さの問題として片づけたくはありません。まっとうに仕事をしてきた人が、区別の基準を持たないまま、たった一人で不当な要求を抱え込み続けると、追い詰められていく。これは、その人の資質ではなく、基準が個人任せになっていたことの帰結です。誰の身にも起こり得ることです。

区別を「組織のもの」にする

ここに、この記事でいちばんお伝えしたいことがあります。応えるべきことと、そうでないことを見分ける基準を、経験者一人の頭の中に置いたままにしない、ということです。

厚生労働省の対策マニュアルも、この点を繰り返し述べています。ハラスメントへの対応は、個々の職員の努力や力量に任せるのではなく、組織として対応する体制をつくることが重要である、と。とりわけ、相談や報告を受けた管理者が一人で抱え込まないよう、法人の本部が組織として関わる体制づくりが求められる、とされています。

相談や報告を受けた管理者等が一人で抱え込まないよう、(中略)各事業を統括する法人の代表や法人本部が組織的に関与する体制を構築することが重要です。

出典:厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」(令和4年3月改訂/株式会社三菱総合研究所)P.18 PDFを見る

一人の経験や勘に頼っているうちは、その人が抜ければ、現場は元に戻ります。区別の基準を、言葉にして、仕組みにして、事業所・施設や法人みんなで共有する。そうして初めて、誰が対応しても同じように区別できる現場になります。個人の力量から、組織の基準へ。ここが、現場を守り続けられるかどうかの分かれ目です。

明日から始められる、最初の一手

ここまで、区別の考え方をお話ししてきました。とはいえ、考え方だけでは現場は動きません。最後に、明日から手をつけられる、具体的な一歩をお伝えします。難しいことではありません。

やることは、二つです。上がってきた一件を、紙に書き出して分ける。そして、一人で決めない。この二つだけです。

一つ目:紙に書き出して三つに分ける

接遇で応える、クレームとして対応する、カスハラとして区別する、の3列からなる空欄の仕分けシート。
上がってきた一件を、この3列に書き出して分けることから始めてみましょう。

職員から相談が上がってきたら、その内容を、紙やホワイトボードに書き出してみてください。そのうえで、先ほどお話しした三つの引き出しに、仕分けていきます。

接遇やケアの技術を高めることで応えるもの。事実を調べ、説明することで応えるもの。そして、応えるべき理由がなく、区別すべきもの。この三つです。

先ほどのケースであれば、こうなります。移乗やおむつ交換の技術についての指摘は、一つ目へ。あざの原因を調べて欲しいという求めは、二つ目へ。経験者を複数よこせという要求は、三つ目へ。頭の中だけで考えていると混ざってしまうものが、書き出して分けるだけで、驚くほどはっきりします。

この作業には、もう一つの意味があります。紙に書き出すことは、あなたの頭の中にあった判断を、外に取り出すことです。基準が個人の中にしかないと、その人が抜けたときに消えてしまいます。書き出して残しておけば、それはあなた一人のものではなく、事業所・施設や法人で共有できる基準の、最初の一枚になります。

二つ目:一人で決めず、複数で見る

もう一つは、その仕分けを、一人でやらないことです。

一人で判断しようとすると、多くの方がこう考えてしまいます。「これをカスハラだと感じるのは、自分が神経質なだけかもしれない」「もっとうまく対応できる人なら、受け止められるのではないか」。こうして、区別すべきことを、自分の中に抱え込んでしまいます。

けれど、複数の目で見れば、話は変わってきます。何人かで見て「これはさすがに応えられる範囲を超えている」と確認が取れれば、それは個人の思い込みではなく、事業所・施設や法人としての判断になります。逆に、「これは応えるべき要望だね」と気づくこともあるでしょう。どちらにしても、一人で抱えるより、ずっと確かです。

そして、こうした違和感は、たいてい一人だけのものではありません。同じご利用者様やご家族への対応に、複数の職員が引っかかりを覚えている、という状況は珍しくないのです。その引っかかりを、それぞれの胸の内にしまっておくのではなく、みんなで見比べる場に持ち寄る。それだけで、区別は個人の我慢から、組織の判断へと変わっていきます。

明日、相談が上がってきたら、まずは紙に書き出して、誰かと一緒に眺めてみる。そこから始めてみてはいかがでしょうか。

一件を分けることが、ケアを守ることにつながります

介護のカスハラが難しいのは、一つの出来事のなかに、応えるべきものと、そうでないものが、混ざって入っているからでした。移乗介助への不安と、経験者を複数よこせという要求。同じご家族の、同じ訴えのなかに、その両方が同居していました。

だからこそ、大切なのは、人単位で「あの人はカスハラだ」と決めることではありません。上がってきた一件を、接遇やケアで応えるもの、調べて説明するもの、そして、区別すべきもの、という三つに仕分けていくことでした。

そして、その区別は、ご家族を突き放すためのものではありませんでした。不当な要求を飲み込むことは、応えるべき要望に応える力を、静かに奪っていきます。区別するからこそ、応えるべきことに、きちんと応えられる。区別は、ご利用者様が受けるべきケアを守るための営みです。

ただ、その区別を、経験のある職員一人の力量に委ねているうちは、その人が抜けた瞬間に、現場は元に戻ってしまいます。見分ける基準を、言葉にして、仕組みにして、事業所・施設や法人みんなで共有する。個人の力量から、組織の基準へ。ここが、現場を守り続けられるかどうかの分かれ目でした。

明日からの一歩は、大げさなものではありません。相談が上がってきたら、紙に書き出して三つに分け、一人で決めずに、誰かと一緒に眺めてみる。その小さな習慣が、やがて組織の基準を育てていきます

とはいえ、区別の基準を組織全体で共有し、誰が対応しても同じように動ける状態をつくるのは、一朝一夕にはいきません。何をカスハラと考え、どこまでを応えるべき要望とするのか。その物差しを、職員一人ひとりに届け、現場の共通言語にしていくには、学びの機会が要ります。

そして、もう一つ、基準をつくるのと同じくらい大切なのが、それをどう伝えるか、です。同じ「その要求には応じられません」でも、伝え方ひとつで、ご家族との関係は変わってきます。この記事で見てきた出入り禁止の場面でも、要求をそのまま断るのではなく、不安の芯には別のやり方で応える、という伝え方が、着地点をつくりました。応えられないことを、どう伝え、どんな代わりを示すのか。この対話の技術もまた、現場で磨いていけるものです。

もし、自分たちの事業所・施設や法人で、この区別の基準をどうつくり、どう根づかせ、そして、どう伝えていくかにお悩みでしたら、一度ご相談ください。カスハラへの対応や、ハラスメントの防止について、管理職の方から現場の職員の方までを対象にした研修を通じて、組織としての基準づくりと、その伝え方の両面から、お手伝いしています。

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