現場から上がってきた案件を前にして、判断が止まる。これはクレームなのか、それともカスハラなのか。同じような案件でも、担当者によって答えが変わる。上に相談すると「ケースバイケースだから」と返ってくる。
同じ悩みを抱えている企業は、実は多数派です。スーパーマーケット業を中心に営む企業への調査では、カスハラ対策を進める上での課題として「迷惑行為と正当なクレームや要求とを区別する明確な判断基準を設けることが難しい」と答えた企業が77.2%にのぼり、課題の第1位になっています。
この記事では、厚生労働省の指針をもとに、判断を3つの軸に分けて整理します。軸を分ければ、自分がどこで迷っていたのかを特定できるはずです。後半では、多くの解説記事が触れていない論点を2つ扱います。グレーゾーンをどう裁くのか。そして、「基準を作ると現場が混乱するのではないか」という懸念にどう答えるのか。
読み終えたとき、手元に残るのは「何がカスハラか」という一覧表ではありません。「誰が、何を材料に、どの順番で決めるか」という手順です。

同じ「髪の毛が入っていた」でも、判断が分かれる理由
まずはイメージしやすいように、具体的な場面から始めましょう。飲食店に行った時のことを想像してください。注文した商品が届くと、そこには髪の毛が1本入っていました。恐らく、多くの方が交換などを求めて店員に声をかけるのではないでしょうか?
さて、この場面で「料理に髪の毛が入っていた」という事実は変えずに、お客様の言い方と要求だけを変えてみます。
3つの場面
場面1。「すみません、髪の毛が入っているので交換してください」
場面2。「(怒声)お前ふざけんじゃねえよ。髪の毛入ってんだろう。交換しろや、てめえ。どんな教育してんだよ」
場面3。「髪の毛が入っているんですけど、どういうオペレーションをされているんですか。交換は当然として、今日の食事代は全額いりませんよね。あと、別でお詫びの品も当然いただけますよね」
3つとも、事実は同じです。髪の毛が入っていた。こちらに非がある。要求に正当な理由がある点も変わりません。
変わったのは…要求の仕方と、要求の内容の2つだけです。
場面2は、要求そのものは正当(交換してほしい)ですが、伝え方が明らかに逸脱しています。場面3は逆で、口調は終始丁寧なまま、要求だけが膨らんでいます。
怒鳴っていなくても該当し得る
多くの方が引っかかるのは場面3ではないでしょうか。声を荒げていない。丁寧語を使っている。それでもカスハラに該当し得ます。「怒鳴る=カスハラ、穏やか=クレーム」という理解のままだと、場面3への対応が漏れます。現場でいちばん判断が止まるのも、この型です。
カスハラの定義
2026年10月1日に施行される改正労働施策総合推進法は、職場におけるカスハラを次の3つの要素をすべて満たすものと定義しています。
- 顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者(顧客等)の言動であること。
- その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして、社会通念上許容される範囲を超えたものであること。
- 労働者の就業環境が害されるものであること。
出典:厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号、2026年2月26日公表)
線引きの核心は、二つ目にあります。「社会通念上許容される範囲を超えた」とは何を指すのか。ここを次章で開いていきます。
なお、対象になる「顧客等」「職場」「労働者」の範囲は、いずれも一般に想像されるより広く定められています。詳細は以下の記事をご覧ください。

指針が示す2つの軸ー「要求の内容」と「要求の仕方」
指針は、「社会通念上許容される範囲を超えた」言動を、社会通念に照らして、その言動の内容が契約内容からして相当性を欠くもの、または手段や態様が相当でないものと定義しています。
内容と、手段・態様。この2つが判断の軸になります。
軸1・要求の内容が範囲を超えるもの
指針が挙げる典型例は次のとおりです。
- そもそも要求に理由がない、または商品・サービス等に全く関係のない要求(性的な要求や、労働者のプライバシーに関わる要求など)
- 契約内容を著しく超えたサービスの提供の要求
- 対応が著しく困難な、または対応が不可能な要求(契約金額の著しい減額の要求など)
- 不当な損害賠償要求(商品やサービス等の内容と無関係な不当な損害賠償要求など)
接客の現場に置き直すと、品切れの商品について「近隣の店舗を回って集めてこい」、レシートがなく販売事実の確認ができない商品の交換や返金の要求、対応した従業員の処罰や解雇の要求といったものが該当します。
軸2・要求の仕方が範囲を超えるもの
では、もう一方の軸についても考えてみましょう。
- 身体的な攻撃
- 精神的な攻撃(脅迫、中傷、名誉毀損、侮辱、暴言、土下座の強要、盗撮や無断での撮影など。インターネット上への投稿によるものを含む)
- 威圧的な言動
- 継続的、執拗な言動(同様の質問を執拗に繰り返す、同様の電子メール等を繰り返し送付するなど)
- 拘束的な言動(不退去、居座り、監禁)
こちらも現場に置き換えると、従業員のミスに対して教育方針の説明を執拗に求める、ミスをした従業員本人からの直接の謝罪を執拗に求める、といった言動となります。店外での長時間の拘束も、この軸に入ります。
研修でこの一覧を出すと、必ず質問が飛んでくるのが「継続的、執拗な言動」についてです。何回目からそれに当たるのか。ここは後半で扱います。

どちらか一方だけでも該当する
ここが実務でいちばん扱いが難しい部分です。
指針は、「言動の内容」と「手段や態様」に着目して総合的に判断することが適当だとしたうえで、一方のみが社会通念上許容される範囲を超える場合でもカスハラに該当し得ることに留意が必要である、と明記しています。
要求が正当でも、伝え方が逸脱していれば該当し得る。逆に、口調が丁寧でも、要求が過大であれば該当し得る。先ほどの例における場面2と場面3が、それぞれこれに当たります。
もうひとつ、押さえておきたいポイントがあります。指針は、これらの典型例は限定列挙ではなく、個別の事案の状況等によって判断が異なる場合もあり得ると釘を刺しています。一覧表に載っていないから該当しない、とは言えないということです。この点は、後半の「基準づくり」の話に直結してきます。
3つ目の軸——「原因がこちらにある」場合もカスハラになり得る
研修でよく聞くのが、「うちのミスが原因だったので、何を言われても受けるしかないと思った」という声です。
ここに、3つめの軸が必要になります。
原因は、判断材料から外れるわけではない
指針が示す考慮要素のなかには、「当該言動を受けた労働者の問題行動の有無や内容・程度を含む、当該言動が行われた経緯や状況」が入っています。
こちらに非があったかどうかは、判断から除外されません。むしろ、きちんと考慮する必要があります。
「相当性」の幅は広がるが、カスハラの線引きはなくならない
厚生労働省の業種別マニュアル(スーパーマーケット業編)は、この点をはっきり書いています。
対応をしたにもかかわらず要求を繰り返す、あるいは継続するなど、要求の手段・態様等が社会通念上相当な範囲を超えた言動であると考えられる場合は、たとえ自社に過失や商品に瑕疵があった場合においてもカスタマーハラスメントに該当する可能性があると考えられます。
出典:厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)」(令和7年3月、総合的ハラスメント防止対策事業 業種別カスタマーハラスメント対策検討委員会)P.6
企業や店舗、従業員に非があるかどうかは、要求の相当性の幅を広げる場合もあるでしょう。しかし、判断の線そのものを消すわけではありません。
通常の範囲内と、その外側
具体的に見てみましょう。
こちらのミスが原因だった場合。謝罪をする、商品を差し替える、商品分の代金を返金する。ここまでは通常の範囲内です。一方、対応した従業員を解雇しろ、慰謝料を払え、となると、要求の内容として過大な領域に入ってきます。
品切れの場合はどうでしょうか。在庫を切らしたことは、お客様から見れば店の責任に映るかもしれません。ただ、必ずしもそうとは限らない事情もあります。いずれにせよ、謝罪と入荷予定の案内、代替品の提案までが通常の対応でしょう。そこから「土下座しろ」「近隣の店舗を回って集めてこい」となれば、前者は要求の仕方、後者は要求の内容として、それぞれ範囲を超えます。

原因への対応と、要求への対応は別の作業
整理すると、こうなります。
「原因はこちらだからカスハラと判断できない」ではなく、「原因はこちらだから謝罪と是正はする。ただし、要求の内容と要求の仕方には別の物差しを当てる」。
この分離が、判断のブレを止めます。ブレていた原因の多くは、3つの軸が頭の中で混ざっていたことにあるからです。
補足:厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)」(令和7年3月、総合的ハラスメント防止対策事業 業種別カスタマーハラスメント対策検討委員会)は、改正法の成立前に公表された資料ですが、対応手順や実態調査の内容は現在も参照可能です。
グレーゾーンをどう裁くか
ここまでの3つの軸で、多くの案件は仕分けできるはずです。しかし、それでも判断に悩む案件が残ります。
口調は終始丁寧。しかし、同じ問い合わせが3週間で11回来ている。要求は「再発防止策を書面で出せ」。過大なのか、正当なのか、どちらとも言えない。
ここから先が、この記事の本題です。
7つの考慮要素を、7つの問いに変える
指針は、社会通念上許容される範囲を超えたかどうかの判断にあたって、次の要素を総合的に考慮することが適当だとしています。
目的。労働者側の問題行動の有無や内容・程度を含む経緯や状況。業種・業態。業務の内容・性質。態様・頻度・継続性。労働者の属性や心身の状況。行為者とされる者との関係性。
このまま読むと、抽象的な一覧です。判断に使うには、問いの形に置き換えるのが実務的でしょう。
| 指針の考慮要素 | 現場で立てる問い |
|---|---|
| 1.当該言動の目的 | 相手は何を実現しようとしているのか。問題の解決か、謝罪させること自体が目的になっていないか |
| 2.経緯や状況(労働者側の問題行動の有無等を含む) | こちらの初期対応に何があったか。それは要求の激しさと釣り合っているか |
| 3.業種・業態 | 同じ言動でも、この業界では通常の範囲に収まるのか |
| 4.業務の内容・性質 | この業務は、どこまでを契約として引き受けているのか |
| 5.言動の態様・頻度・継続性 | 何が、どれだけ繰り返されたか。十分な説明をしたあとも続いているか |
| 6.労働者の属性や心身の状況 | 受けたのは誰か。入って間もない人か、経験を積んだ人か |
| 7.行為者とされる者との関係性 | 一見のお客様か、長年の取引先か |
グレーの案件で止まったときは、この7つを順に当ててみましょう。答えが出なくても、「どの要素で判断が止まっているのか」は特定できます。そこが分かれば、次に確認すべきことも見えてくるはずです。
「何回目からアウトか」に、指針は数字で答えていない
グレーゾーンの質問で多いのが、「何回目からしつこいことになるんですか」というものです。
指針の答えは、実はかなり明快です。言動の頻度や継続性は考慮するとしたうえで、強い身体的または精神的苦痛を与える態様の言動の場合は、1回の言動でも就業環境が害される場合があり得る、と記載されています。
回数は閾値(しきいち)ではなく、要素のひとつでしかありません。10回繰り返されても該当しない場合があり、1回で該当する場合もある。
これを聞くとがっかりされる方も少なくないでしょう。例えば、「10回でアウト」という線があれば、判断は楽になるからです。ただ、その線を引いてしまうと、9回目までは我慢させる運用になりかねません。
それでも目安は必要になる——指針と業界マニュアルの二層構造
とはいえ、目安がまったくないと、現場は対応を切り上げるタイミングを失います。
指針でも、そこは手当てしています。事業主があらかじめ定めておく「対処の内容」の具体例のひとつとして、労働者から十分な説明を行った上で、なお繰り返しの要求が続く場合には、一定の時間の経過をもって退店を求めたり、電話を切ったりすること、が挙げられています。
ここで指針が書いているのは「一定の時間」までです。具体的な数字は入っていません。
その数字を業界の実情に合わせて入れたのが、業種別マニュアルです。スーパーマーケット業編では、以下のように対応例を提示しています。
まずは顧客等の主張・意見等を確認し、それに対して十分な説明(自社に非がある際は謝罪)をします。その上で、なお繰り返しの要求や質問が続く場合、その時点から30分程度の経過を目安とし、顧客等にお引き取りいただくようにします。
出典:厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)」(令和7年3月、総合的ハラスメント防止対策事業 業種別カスタマーハラスメント対策検討委員会)P.15
継続的・執拗な言動にも段階が示されています。連絡先を確認し、不合理な問い合わせが2回きたら注意する。3回目には対応できない旨を伝える。なお繰り返される場合は、社内で共有して内容を記録し、窓口を一本化して管理職が引き継ぐ。
指針が枠を決め、業界と各社が数字を入れる。この二層構造を理解しておくと、自社の基準をどこまで作ればいいのかが見えてきます。
30分ルールの但し書きが、いちばん大事
ただし、同じマニュアルには重要な注意書きが付いています。
なお、本対応は、顧客等の主張や意見等を傾聴し、店舗側から十分な説明を行っていることが前提であり、単に時間が30分以上経過したということのみで判断しないように注意しましょう。
出典:厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)」(令和7年3月、総合的ハラスメント防止対策事業 業種別カスタマーハラスメント対策検討委員会)P.15
基準の中に、判断そのものが組み込まれているわけです。「30分経ったから終了」という運用をすると、この基準は機能しません。傾聴と説明を尽くしたかどうかが、時間の前に来ます。
数字だけを抜き出して現場に配ると、本来目的であるサービス提供への悪影響が懸念されます。前提とセットで渡す必要があるでしょう。
「平均的な労働者の感じ方」という物差し
3つ目の要素、「就業環境が害される」の判断についても触れておきます。
指針では、以下のように記載されています。
当該言動により労働者が身体的又は精神的に苦痛を与えられ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること。(中略)「平均的な労働者の感じ方」、すなわち、同様の状況で当該言動を受けた場合に、社会一般の労働者が、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうかを基準とする
出典:厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号、2026年2月26日公表)
一方で、考慮要素には「労働者の属性や心身の状況」が入っています。一見すると矛盾しているように読めますが、そうではありません。
平均的な労働者の感じ方が、底を決めます。ここを下回る運用、つまり「本人が我慢できているうちは問題なし」という判断はできません。そのうえで、受けた側の属性や心身の状況が、個別の相当性判断を動かします。
ベテランが平気だったから、入って間もない従業員も平気であるべきだ。この理屈が成り立たないのは、この構造のためです。
グレー案件を分解してみる
先ほどの案件に戻りましょう。口調は丁寧、3週間で11回の問い合わせ、要求は「再発防止策を書面で」。
目的:再発防止を本当に求めているのか、それとも書面を出させること自体が目的になっているのか。ここは、要求の中身が回を追うごとに変わっているかどうかで見当がつきます。
経緯:11回のうち、何回目までがこちらの説明不足によるものか。同じ質問への回答を、こちらが変えてしまっていないか。
態様・頻度・継続性:十分な説明を行ったあとにも同じ質問が繰り返されているなら、指針の「同様の質問を執拗に繰り返す」に近づきます。逆に、こちらの回答が毎回ぶれていたのなら、回数はこちらの問題を映しているかもしれません。
こうして当てていくと、判断が止まっていた場所が特定できます。この案件で言えば、「十分な説明を行ったと言えるか」が分かれ目です。そこが決まらないと、11回という数字は評価できません。
答えを一発で出す道具ではなく、「迷いの位置を特定する道具」。考慮要素は、そのように使うのが実際的でしょう。
「基準を作ると現場が混乱する」は本当か
ここまで読んで、こう感じた方もいるのではないでしょうか。
顧客は千差万別で、結局は個別対応になる。それなのに基準を作ったら、かえって現場が混乱するのではないか。
もっともな懸念です。ただ、この懸念には一次情報が答えを出しています。
基準がない状態が、すでに混乱を生んでいる
先ほどの実態把握調査を、もう少し詳しく見てみます。
カスハラが発生した場合の顧客への対応方法として最も多かった回答は、「社内で統一の対応ルール等はなく、現場で個別に対応している」で58.4%。そして同じ調査で、対策を進める上での課題の第1位が「迷惑行為と正当なクレームや要求とを区別する明確な判断基準を設けることが難しい」で77.2%でした。
出典:厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)」(令和7年3月、総合的ハラスメント防止対策事業 業種別カスタマーハラスメント対策検討委員会)
個別対応に委ねている企業が6割近くあり、そのうえで、判断基準がないことを最大の課題に挙げている。
順序が逆です。基準を作ると混乱するのではなく、基準がないから混乱している。少なくとも接客業の現場では、この構図がはっきり出ています。
なお、この77.2%はスーパーマーケット業を中心に営む企業101社を対象にした調査の数字です。全業種を対象とした厚生労働省の実態調査(企業調査)では、同じ選択肢を挙げた企業は25.9%で、最も多い回答は「特にない」の32.1%でした。母集団も設問の構成も異なるので、単純には比べられません。ただ、消費者と直接接する業種に絞ると、判断基準づくりが突出した課題になることは読み取れます。
懸念の正体は、「基準=NGワード一覧」という想像
なぜ「基準を作ると混乱する」と感じるのでしょうか。
おそらく、基準という言葉から「この言葉が出たらアウトという一覧表」を想像しているからだと思います。それを作ろうとすれば、確かに混乱します。同じ「ふざけるな」でも、状況によって評価は変わるからです。
しかも、指針自身が一覧表型を否定しています。典型例を挙げたうえで、これらは限定列挙ではなく、個別の事案の状況等によって判断が異なる場合もあり得ることに留意すべきである、と。
作れないものを作ろうとして挫折している。これが「基準づくりは難しい」の正体ではないでしょうか。
指針は「グレーでも相談を受けろ」と言っている
もうひとつ、よく出る懸念があります。基準を作ると、現場が正当なクレームまで突っぱねるようになるのではないか、というものです。
これにも指針が答えています。
相談を行った労働者(以下「相談者」という。)の心身の状況や当該言動が行われた際の受け止めなどその認識にも配慮しながら、職場におけるカスタマーハラスメントが現実に生じている場合だけでなく、その発生のおそれがある場合や、職場におけるカスタマーハラスメントに該当するか否か微妙な場合であっても、広く相談に対応し、適切な対応を行うようにすること。
出典:厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号、2026年2月26日公表)
判断基準は、相談を門前払いするフィルターではありません。グレーは受ける。受けたうえで、誰がどう判断するかを決める。
この順序さえ守られていれば、基準が正当なクレームを切り捨てる方向に働くことはないでしょう。むしろ逆で、基準がないほうが、その場の判断で門前払いが起きやすくなります。
千差万別だからこそ、自社で決める
業種別マニュアルには、こんな一節があります。
カスハラの判断基準は、企業の実情や顧客対応の姿勢などの違いにより、企業ごとに多少違いが出てくる可能性があることから、各社であらかじめ判断基準を明確にした上で、企業内の考え方を統一して現場と共有しておくことが重要である。
千差万別であることは、基準を作らない理由としてではなく、他社の基準を借りられない理由として書かれています。だから自社で作る必要がある、という論理です。
そして同じマニュアルは、基準が明確であれば、店舗ごと・従業員ごとの対応のばらつきを抑えられ、一貫した対応をとることもできる、とも述べています。もっとも、基準は決めるだけでは動きません。決めた基準を現場に共有し、定着させ、機能させる運用については、対策が現場で機能しない理由をまとめた記事で扱っています。

決めるのは「答え」ではなく「手順」
では、具体的に何を決めるのでしょうか。
実際に取り組んでいる企業の事例を見ると、決めているのは答えではありません。手順です。
- 誰が最終判断するか。正当なクレームをカスハラと誤って判断しないように、最終判断は店長(不在の際は副店長)が行う。
- 何人で判断するか。カスハラかどうかの判断は複数名で行う。顧客対応を行った対応者だけで判断すると主観が入り込み、正しい判断ができない可能性があるため、第三者が事実確認を行った上で判断する。
- いつ上に渡すか。店舗で判断に悩む場合は、本社のお客様相談室などに報告して判断を仰ぐ。
- 何を記録するか。当該顧客等とのやり取りを録音し、事実確認に使用する。
- どこから外部に渡すか。
指針は、特に悪質と考えられるカスハラへの対処の具体例として、犯罪に該当し得る言動についての警察への通報、行為者に対する警告文の発出、法令の制限内において商品の販売やサービスの提供等をしないこと、店舗および施設等への出入りの禁止、民事保全法に基づく仮処分命令の申立てを挙げています。
この5つのどれも、「何がアウトか」を決めていません。誰が、どの段階で、何を材料に決めるか。それだけを決めています。
個別対応の余地は、まるごと残ります。残したまま、判断が個人の気分や耐性に左右されない仕組みだけを作る。これが、基準づくりの実質です。

基準は現場を「縛る」のではなく「守る」
もうひとつ、見落とされがちな効果があります。
業種別マニュアルには、基本方針を策定することで、現場でカスハラに対して毅然と対応しても本社から咎められない、会社が守ってくれるなどの、従業員の安心感につながっているという声がある、と紹介されています。
基準がない職場では、毅然と対応すること自体がリスクになります。後から本部に「対応が悪かったのではないか」と言われるかもしれない。そう思えば、現場は我慢することを選びます。そして、我慢が限界に達すれば離職します。
基準は、その不安を取り除く装置でもあるわけです。
「ケースバイケース」という言葉が現場に残すもの
最後に、ひとつだけ確認しておきたいことがあります。
「ケースバイケースだから」という返答は、丁寧に聞こえて、実質は判断を現場に丸投げしていることがあります。
指針が総合的な考慮を求めているのは事実です。しかし、それは「考慮する人と手順を決めなくてよい」という意味ではありません。むしろ、総合的に考慮する必要があるからこそ、誰がその考慮を担うのかを先に決めておく。そういう判断になるはずです。
介護・福祉——「カスハラに当たらないもの」が明文化された領域
ここまでは、全業種に共通する話でした。
一方、対人サービスのなかには、「カスハラに当たらないもの」が行政の資料で明文化されている分野があります。高齢者介護と障害福祉です。
この分野を見ると、線引きのもうひとつの難所が見えてきます。
指針そのものが除外していること
指針は、「障害者から労働者に対して、障害者差別解消法で禁止されている不当な差別的取扱いをしないよう求めることや、社会的障壁の除去について配慮を求めること自体はカスハラに当たらず、その実施に伴う負担が過重でないときは、必要かつ合理的な配慮をしなければならない」と記載しています。
出典:厚生労働省「障害福祉の現場におけるハラスメント対策マニュアル」(令和4年3月、MS&ADインターリスク総研株式会社
配慮を求める行為そのものは、線の外にあります。
介護分野には、3つの除外がある
介護・福祉の管理職からよく聞くのが、「その場ではBPSD・障がい特性なのか判断できない」という戸惑いです。
介護分野では、この点がさらに具体化されています。厚生労働省の老人保健健康増進等事業として作成された事例集は、次の3つをハラスメントではないものとして明示しました。
- 認知症等の病気または障害の症状として現われた言動(BPSD等)。BPSDとは、認知症の行動症状(暴力、暴言、徘徊、拒絶等)や心理症状(抑うつ、不安、幻覚、妄想等)を指します。
- 利用料金の滞納。不払いの際の言動がハラスメントに該当することはあり得るとしたうえで、滞納そのものは債務不履行の問題として対応する必要がある
- 苦情の申立て。
出典:厚生労働省「介護現場におけるハラスメント事例集」(令和3年3月、株式会社三菱総合研究所/令和2年度老人保健事業推進費等補助金)
除外は「我慢しろ」という意味ではない
ここで注意したいのは、同じ資料が続けて釘を刺している点です。
病気または障害に起因する暴言・暴力であっても、職員の安全に配慮する必要があることには変わりない。事前の情報収集(医師の評価等)を行い、ケアマネジャーや医師、行政等と連携するなど、組織的に対応することが必要である。職員が一人で抱え込まず、上長や施設・事業所へ適切に報告・共有できるようにすることが大切である
出典:厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル(令和3年改訂版)」
除外は、ハラスメントとしての対応をしないという意味であって、放置してよいという意味ではありません。医療やケアの側からのアプローチに切り替える、という判断です。

障害福祉分野には、この除外リストがない
高齢福祉分野と障害福祉分野では、ガイドラインの書き方が異なります。
障害福祉サービス等事業者向けのマニュアルは、ハラスメントの3類型(身体的暴力、精神的暴力、セクシュアルハラスメント)の定義を、出典を明記したうえで介護分野のマニュアルから引き継いでいます。にもかかわらず、除外の項は引き継がれていません。
代わりにこのマニュアルは、障害特性を発生の背景要因の側に置いています。原因と考えられる要因として挙げられているのは、利用者・家族等とのコミュニケーションエラー、職員の知識不足、利用者・家族等の不穏の3つです。
該当するかしないかで切るのではなく、なぜ起きたかを分析する側に置いている。同じ「特性に起因する言動」でも、分野によって扱い方が違います。事業所の種別によって、基準の書き方を変える必要が出てくる部分です。
除外ルールが、相談を止めてしまうとき
この分野の調査には、看過できない数字があります。
障害福祉サービス等事業所の職員1,509名へのアンケートで、ハラスメントを受けたが相談しなかった、あるいは内容によっては相談しなかった人(169名)に理由を聞いた結果です。
最も多いのは「相談しても解決しないと思ったから」で49.1%。次いで「利用者・家族等の性格又は生活歴によるものであったから」が34.9%、「利用者・家族等の障害や病気によるものであったから」が33.1%でした。
3人に1人が、障害や病気に起因すると自分で判断して、相談をやめています。
同じ調査では、ハラスメントを受けたことのある職員(299名)の44.8%が「仕事を辞めたいと思ったことがある」と答えています。
除外ルールは、職員を守るためにあります。ところが、それを職員自身が「だから言ってはいけない」と読み替えたとき、逆向きに働きます。
同マニュアルは、解決責任者にもこう釘を刺します。「職員の支援スキルが低いから」「支援ではよくあることで大げさだ」と原因を職員個人に帰すと、問題点が明らかにならないばかりか、職員へのセカンドハラスメント(二次被害)になる可能性もある、と。して注意喚起しています。
出典:厚生労働省「障害福祉の現場におけるハラスメントに 関する調査研究(MS&ADインターリスク総研株式会社)令和4年3月」
だからこそ、一次対応者に判断させない
ここで、前章の話がつながります。
BPSDに当たるのかどうか。障害特性に起因するのかどうか。この判断は、その場で受けた職員がひとりで下すものではありません。医師の評価や記録、関係機関との情報共有を材料に、組織として判断するものです。
判断を一次対応者にさせない。この原則は、除外ルールがある分野でこそ効いてきます。
介護・福祉の現場に固有の運用については、別記事で詳しく扱う予定です。
明日から始める、3軸の分解
最後に、すぐに着手できるところをまとめます。
過去の3件を、3つの軸で分解し直す
これまで現場から上がってきた案件を、3件だけ抽出します。原因の所在、要求の内容、要求の仕方の3つに分けて、書き直してみます。
分けた段階で、どの軸で判断が止まっていたのかが見えてきます。原因の話と要求の話が混ざっていたのか。要求の内容と仕方を分けていなかったのか。そもそも事実確認が足りていなかったのか。
3件で十分です。多くやるより、まずは1件ずつを丁寧に分解するほうが効果的です。
線を一本だけ決める
次に、「この段階から管理職が代わって対応する」というエスカレーションの線を、一本だけ決めます。
増やさないことが大事です。複数の条件を並べると、現場での混乱に繋がります。一本だけ決めて、口頭で伝える。それだけでも、一人で抱え込む状態はかなり減ります。
記録の様式を、軸に合わせて分ける
記録の様式に「何を要求されたか」と「どう要求されたか」を別の欄として設けるのも効果的です。欄が分かれていないと記録の段階で軸が混ざり、あとから復元できなくなります。
まず管理職に落とし込む
この分解を、管理職で共有しましょう。
基準は、文書として存在した瞬間に機能するわけではありません。管理職が、そこに書かれている内容と自分の判断経験を突き合わせて、はじめて使える道具になります。
自社の店舗や事業所で実際に起こった事例を判断基準に載せている企業があります。具体例を記載することで、同様の事案が発生しても現場で迷うことなく判断できるようにする、という趣旨です。抽象的な基準を、自社の記憶に接続しているとも言えます。
管理職が自分の経験と接続できていれば、その先の従業員にも落とし込みやすくなります。接続できていないまま配れば、基準は文書のまま止まったまま運用されない可能性が高いでしょう。
まとめ
カスハラかどうかの判断は、3つの軸に分けると整理しやすくなります。
原因はどこにあるのか。要求の内容は範囲内か。要求の仕方は範囲内か。この3つは独立していて、混ぜると判断がぶれます。原因がこちらにあっても、要求の内容と仕方には別の物差しを当てる。ここが出発点です。
そのうえで、グレーゾーンには指針の考慮要素を当てます。回数は閾値(しきいち)ではありません。答えを一発で出す道具としてではなく、迷っている位置を特定する道具として使うと、次に確認すべきことが決まります。
そして、基準として決めるのは答えではなく手順です。誰が最終判断するか。何人で判断するか。いつ上に渡すか。何を記録するか。どこから外部に渡すか。個別対応の余地は残したまま、判断が個人の耐性に左右されない仕組みだけを作る。
自社の事例を持ち寄って分解する作業や、その基準を管理職に落とし込むところまでを、自社だけで組み立てるのが難しいと感じたら、一度ご相談ください。過去の案件をもとにした分解ワークから、管理職への落とし込みまで、現場で機能する形になるようご一緒に整えます。


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